テーマ:わくわく戦国時代~地方の可能性、東北の可能性
2024年8月9日、2024年度入門編の第二回目が開催されました。
この日は一般社団法人東の食の会・専務理事である高橋大就さんに「わくわく戦国時代〜地方の可能性、東北の可能性」というテーマで基調講演を行っていただきました。
高橋さんは「東の食の会」として震災による打撃を受けた岩手・宮城での漁業再生事業や、福島県の農業事業者のブランド化の経験をお持ちです。そして現在は福島県浪江町で地域づくり、コミュニティづくりに取り組んでいます。
新しい水産業を生み出す。
「一般社団法人東の食の会」は、東日本大震災が起き、危機感を感じて立ち上げました。
津波による被害に、原発の爆発。あのとき、誰もが何をしたら良いのかわからない状態でした。
そこで次の4つのことに取り組みました。
✓ヒーロー生産者を創る。
✓ヒット商品を創る。
✓販路を創る。
✓ファンを創る。
事例として紹介したいのは「三陸フィッシャーマンズ・キャンプ」です。
震災で最も被害を受けたのが、漁業でした。震災の前から漁業のほうが農業よりも圧倒的に斜陽産業。
元の状態に戻しても、傾いたまま、転がり落ちていくだけだと。だから「新しい水産業を生み出していこう」と考えたんです。新しいものを生み出さない限り、復興は成し得ない。付加価値を川上に取り戻す必要がある、でなければ川上が疲弊してしまう。
付加価値を付けるスキルを川上が持つことが必要だと考えました。
そこで、具体的には漁師や漁業関係者にマーケティングやプランニングを学びましょう、と。
縄張り意識、ではないけどかつてはいがみ合いなどが多かった業界ですが、今はそんなことを言っている場合じゃないよ、みんな仲間として取り組みましょうというお話をして、受け入れてもらいました。
極めて保守的で、規則や文化的制約も強い漁業を、カッコよくて、革新的で、稼げる「3K」に変えよう。そういう若者たちが集まって「FISHERMAN JAPAN」が出来た。これは水産業の歴史の中でも革新的な団体が生まれました。結果として、担い手がいないと云われる水産業なのに、今は三陸でどんどん漁師が増えていくことになりました。
私たちの活動は水産業から始まり、5年以上かけて三陸の漁業の取り組みを行い、だいぶ良い状態になりました。一方でずっと気にかかっていたのが福島でした。宮城・岩手に輪をかけて原発事故の放射能の影響がひどく、そもそも今でも住めないエリアが広大に広がっています。
どうやって食産業を復活するのか。ブランドは作れるのか。
水産業が良い状況になってきた段階で、福島へ活動のフォーカスを移そうと「ふくしまFarmers’ Camp」を始めました。川下のスキルを川上へという三陸での考え方をそのまま福島の農業で活用しました。
農家が集まり、マーケティングやプランニングを学んで、かっこいい団体が生まれ、どんどんヒーロー農家が生まれました。そして、ファンもいっぱい生まれる、という流れを創ることができました。
川上に付加価値を創った「ヒット商品」
具体的に「川上に付加価値を持ってくるとはどういうことだろう」と考えました。
そのモデルとなる商品を作りたいと思って手掛けたのが「サヴァ缶(CAVA缶)」です。
当時サバ缶の平均価格は95円でした。日本のサバ缶はとてもおいしいのに。
そもそも風評被害で東北のものは買ってもらえない。
とはいえ、買ってもらえるように他の産地と同じく95円で売っても、復興は難しいと思っていました。
だったら価格をぶち上げてやろうと。三陸なのに価格が3倍、4倍でも売れるものを作ればいいのではと考えました。380円で売ってやろうと考えました。
なぜかサバ缶には味噌煮と水煮しかない。洋食の味付けは存在していない。
全部どれも同じようなデザインで、地味な色合いのもの。
そこで、和から洋にずらし、色合いもビビッドな洋風なデザインにすることで、今では年間で1,000万缶以上の売上を達成しています。現在はこの商品は400円以上になりましたが、他のサバ缶もデザインを変えたりと追随してきて、平均価格も195円まで上がっています。
そのほかにも、アカモクや三五八、トマトを使ったビールなどをブランディングしました。
なかでも原発の影響で最も風評被害が酷かった福島の水産業ですが「手焼き真穴子」はしっかりとブランディングすることで受注が殺到し、販売中止に追い込まれました。
パートナーとしての販路も創る
商品を創るだけではなく、商談会の機会を設けて生産者とバイヤーを繋いだり、
こちらから出向くだけでなく、産地ツアーを実施してバイヤーやシェフを産地に連れてきたりしています。それが1番魅力が伝わるので、ファンになってもらってビジネス的な繋がりというよりも、一緒に価値を作ってもらう。
また、催事にも出店しています。復興文脈ではない、全国の農家が集まる三越伊勢丹の「サロンドアグリ」というイベントで出店し、何年か連続で売上1位を獲得しています。
また、世界に出ようということでパリに行ったこともあります。コロナ前ですが、販路を海外にまで伸ばそうという取り組みです。また、バンコクへ漁師たちが赴き、「Fisherman’s League」として出展。直接漁師たちが料理人に対して商談を行ったこともあります。
生産者と消費者を繋ぎ、ファンを創る
消費者と生産者を直接会わせる機会を創りました。震災前、こういった機会はほとんどありませんでした。でも、実際にイベントをやればホテル会場がいっぱいになるくらい人が来てくれるようになりました。東京の真ん中でイベントをやると、福島の生産者に会いに人が訪れてくれるような状況が生まれました。
そして、福島県浪江町に移住。地域コミュニティ作りへ。
お話したとおり、宮城・岩手、そして福島の食産業もだいぶ良い状況になってきた。だいたい10年ほどかかりました。ただ、それでも心残りだったのが「未だに住めない地域がある」こと。人も住めないし、漁業も農業を再開できない広大な地域、それがこの福島県の浜通り地域です。福島第一原子力発電所の周辺地域です。産業の再生以上に大変なのが、コミュニティの再生だと思います。産業づくりよりも長くかかることだと思います。ここにどうやってコミュニティを作っていくのか。その課題が今もあるのに、長く素通りしてきた自分が許せなくて、やっと移住できたという形です。
浪江町は原発事故で全町に避難指示が出ました。2017年3月末に沿岸の約20%の面積のエリアだけ解除されました。かつては21,000人いた町民ですが、現在は2,200人程度。その3,4割が移住者です。
ここで食の活動を続けています。相馬地域の特産品として「殿様布顛(とのさまプリン)」という商品を開発しました。洋風な商材に和風のデザインを施しています。風評被害がとにかくキツイ状況なので、だったら思い切って海外に持っていこうと。震災初の輸出をしました。しらうおという高級魚のブランディングをしたり。
また、実験農場を浪江町に自分で作っています。高付加価値の野菜をいっぱいつくっています。知られていない作物をみんなで植えてみて、可能性のあるものを育てています。「ゴルゴ」といううずまきのビーツや、鮮やかな色の「月と太陽」というビーツなどをブランディングしました。基本的には輸入されている高価格帯の作物を栽培し、輸入代替を狙っています。ビーツはフレンチに直接卸せるメリットもあります。
ちなみに、害獣(イノシシなど)への対策としてヒトデを乾かして色を塗って忌避剤として使っています。これはサポニンという四足動物が嫌がる成分を発するそうです。ヒトデをぶらさげているので「星降る農園」という名前を付けています。なみえ星降る農園は、コミュニティ農場なんです。我々がコストをかけてやることで、まずはこの地域で農業やれるんだ、やっていいんだ、面白いんだと思ってもらうことが狙いです。アガベなど、いろんなものをやってみる。プロの方はこんなことできないと思いますが、私たちは「失敗してもいいんだ」というメッセージを伝えたい。
クラフトジンに必要な「ジュニパーベリー」
今、日本国内でもクラフトジンが作られていますが、ジンの原料として使われるのが「ジュニパーベリー」です。ジンは何を使ってもいいんですが、工程上の定義として「ジュニパーベリー」で香り付けをすることが定められています。現在は全量輸入されています。バルカン半島、イタリアなどで作られているんですが、ジュニパーベリーには可能性があると考えています。クラフトジンマーケットが爆発的に広がっているなかで、国産の需要は必ずあります。今から先んじて取り組んでいこうと思っているところです。某日本の大手企業から国産ジュニパーベリーを作りたいと考えているんだ、という連絡がありました。それくらい可能性がある作物だと思っています。僕らのように新たなことをやるんであれば、他でやっていないものをやってみたい。
浪江町のビーツを、ビストロダルブルというフレンチの名店が使ってくれ、その他の食材も使っておせちを作ってくれました。銀座の松屋でしっかり売り切れました。1番のハレの日に浪江のものを堂々と使ってくれるということですよね。風評被害を乗り越えたと感じる出来事でした。ビストロダルブルさんは、浪江町の食材が気に入って、ついには2000人の浪江町に出店してくださいました。食のブランドの町としてやっていこう、ということで今も進めています。
NoMAラボとしての取組
産業再生だけでなく、浪江町のコミュニティ再生をどうしていくのか。どういう町を作っていくのかということを一住民としてどう取り組もうということで作った団体が「NoMAラボ」です。
ずっと時が止まっていた町で除染解体という作業で、街中の家を解体している最中です。町から建物が消えていく、コミュニティも戻ってこれない。記憶がどんどんなくなっていってしまう。記憶を取り戻し、紡いでいこうと「なみえアート・プロジェクト」を行いました。岩手のヘラルボニーとタッグを組んで、浪江の住民が残したい記憶、思い出をヘラルボニーのアートにしてもらい、屋外巨大アートにして掲示しています。また、浪江の記憶を追体験できるような謎解きゲームを作ったり、リアルで街歩き謎解きのイベントを行いました。
また、住民主体で課題解決をするため、住民が課題をエンタメ化して解決していこうという取組を行っています。中心市街地も空き家が壊されて空き地になり、草が生い茂っています。私有地なので町も勝手に触れない。だったら住民同士で解決しようと。所有者に許諾を取って、草刈りバトルの競技場にしました。おじいちゃんおばあちゃんは、量を刈るゲームでは参加できないので、知恵を使うゲームにして刈った草でアートを作ろう。刈った草で1番高い場所に行けた人が勝ち、というルールを作って草刈りバトルをやりました。
だんだんまちづくりのほうがライフワークになってきたところで新たな団体を立ち上げました。それが「驫(ノーマ)の谷」です。この地域は相馬藩が治めてきた地域です。「千年続いてきた相馬を継承し、千年先につなぐ」ということを掲げ、人と馬と自然とが共生できる自律的なコミュニティを創ることを目的としています。本当の自律と共生をめざしていて、有料会員制のコミュニティにして、すべての意思決定を会員の投票で行うような組織にしています。新しい民主主義を作ろうと。また、相馬藩校「nomaskole」を実施しています。地域から人が出ていってしまう原因のひとつに、一流のものを学ぶなら大都市に行かなければという理由があります。でも、今ならどこでも学べる時代です。自分たちが学びたいことを自分たちでやっていこう、ということです。
ワクワク戦国時代とは?
今、時代の流れは「中央集権型社会」から「自律分散型社会」になっています。
でもなかなか頭の構造は変えられないですよね。基礎自治体の上に県があって、国がある。そうなってしまっている。本来はコミュニティづくりって、必要な部分を行政に付託しているだけのはず。
自分たちの町は自分たちで創る。できないところは自治体にお願いする、という考え方です。
GDPからGDW(グロスドメスティックウェルビーイング)。経済的指標だけ追っても幸せになれないよ、ということは今若い人のほうがわかっていると思います。
Well-Beingとは、ポジティブな感情、関与、人間関係、人生の意味・意義、達成感という構成要素であるとセリグマン教授が言っている。ポジティブな感情とは「ワクワク」だと思います。
自分でまちづくりをやって思うのは、自分でやりたいことを考え、自分でやっているときが楽しい。ワクワクする。人に言われてやらされるよりも、そちらのほうが楽しい。
文化が経済に先立つ、と思っています。
では、なぜ地方企業の可能性が高いのか。
今経営ではトップクラスで、さまざまな地方企業の再生を手掛けている冨山和彦さんは「L型経済」が有利であると言っています。L(ローカル)型とは地域密着。G(グローバル)型産業ではなく、L型に日本経済の主流がある。地域経済、地方経済が全国的に回復しなければ日本経済の復興はありえない、と。L型のほうがその先の日本の経済成長の上でも伸び代がはるかに大きいとおっしゃっています。なぜならまだまだデジタル化が進んでいない、旧態然とした日本型経営が主流だからです。
私が1番尊敬する日本のマーケティングに長けている岩崎邦彦さんは、大規模店よりも中小規模の方のほうが顧客満足度が高いと言っています。画一性から個性、総合から専門、全国から地域、量から質、効率から感性にニーズが動いている。だからローカルのほうが強いということです。
マーケティング界の大家・コトラー先生は、顧客中心だということを「マーケティング2.0」で言っています。その後「人間中心である」とマーケティング3.0で言っています。私の認識ではマーケティング3.0以降は顧客志向のマーケティングというのは変わっていないけど、人間中心・共有価値・つながりが大事であること、それに現在はデジタルマーケやAIが入ってきています。これはマーケティング的に見ても地域が強いということが言えると思います。
私は以前から「左脳と右脳と心を打ち抜く」ということを以前から言っています。
機能的価値、感性価値、情緒的価値というものがあると。この情緒的価値はローカルには要素がいっぱいあると考えています。
まとめると…
✓ GDPの8割はローカル企業(L型企業)
✓ L型企業は人手が必要で雇用を生む
✓ L型企業は、生産性改善余地が大きく伸び代が大きい
✓ 画一的・総合的・大量生産より、個性的・専門的・良質な商品・サービスが求められている。
✓ 感性に訴え、顧客とコミュニティとしてつながる企業が求められている。
なぜ、東北に可能性があるのか。
あの震災のことを忘れてはいけないと思っています。あれだけの方がなくなり、繋がりが失われた。
今もまだ、震災は終わっていない地域や人たちがいっぱいいます。
その状況のなかで「東北の可能性」とは「レジリエンス」だと思います。
立ち上がってやっている人たちがいるんです。
一粒1000円のいちごを作る人。
世界中の磯焼けという海の課題を解決しようとしている人。
福島では圧倒的にうまい桃を作ると、世界で1番の糖度の桃を作り、ギネス記録を作った農家がいます。ひとつ5万4,000円の桃を作り、売り切った。
そんな東北の時代が来たんだと思っています。
私は福島の浜通り地域が1番熱いと思っています。
浪江町に移住した理由は、責任とワクワクです。
あの福島第一発電所は、東京の電気を賄っていたんです。福島の人は何も使っていない。
東京で私はその恩恵を享受し、快楽的な時間を過ごしていたんです。
東京の人は当事者なんです。だから私は当事者として浪江町へ移住しようと考えたんです。
今、浪江町では世界最大級の水素工場が作られ、水素エネルギーを活用し、ゼロカーボンをめざしています。オンデマンド交通が作られ、アプリでタクシーを呼べる「なみえスマートモビリティ」が導入されていて、ご老人もアプリで好きなところから好きなところへ行けるようになりました。隈研吾さんデザインで「なみえルーフ」が計画されていて、数年後にはできる予定です。今すでに道の駅は水素エネルギーで運営されていて、町の宿舎も水素で動いています。
でも、これができればそれでいいのか? 国が威信をかけて作ってくれるけど、誰が考え、誰の思いで主体になっているのかが重要。それがなければ続かないと思っています。
コミュニティ側で起きていることをご紹介します。謎の筋肉大会を役場の人が企画してやっています。第一回エゴマ飛ばし世界大会が開催されたり、なみえアベンジャーズが結成されたり。彼らのミッションは町民全員がヒーローなんだと掲げています。グッズを作って道の駅で販売しています。僕もヒトデに色を塗って蒔いたりして。誰も何も言いません。自由なんです。
小さいことは悪いことですか?
Small is strong。21,000人いたのが2,000人になりました。これはもちろん悲劇でした。
大企業と小さな企業、どちらがローカルに強いかという話がありましたが、イノベーションを起こしやすいのはスタートアップだと一般的にも言われています。小さいほうが意思決定が早い。主体性を持って、イノベーションを大企業よりも起こしやすい。コミュニティも大きいよりも、小さいほうがコンセンサスを取りやすい。当事者たちが、主体性を持った住民が集まって動いていくこと。それが今浪江で起きています。
浪江が、浜通り地域がなぜ今1番熱いのか。
それは、レジリエンスがあること。マイノリティを経験し、強制避難を強いられた人たちの強さがある。そして、フロンティアであること。バリケードが設けられている地域なんて、日本には他にはない。
物理的にも社会的にもフロンティアであると思っています。もうひとつ、連帯意識があること。思いを持った人たちが連帯してくれるのは強みだと思っています。
一人当たりのワクワクが爆上がりしているのが浪江だと思っています。
でも人口減少が激しい秋田でも、同じように考えられるのではないかと思います。秋田からもワクワクを作り出して、新しいことができるはずです。